グアテマラのコーヒーはフレーバーの種類がものすごく豊富で多くの珈琲豆が栽培されています。
香りが豊かで味もしっかりしているのでブレンドに使われる事が非常に多いのが特徴。
グアテマラ共和国とは
グアテマラ共和国の国土面積は日本の3分の1以下ですが、中米トップクラスのコーヒー大国で日本でも多く飲まれているコーヒー産地主要国です。
国名 | グアテマラ共和国 |
首都 | グアテマラシティー |
人工 | 約1,691万人 |
言語 | スペイン語 |
コーヒー生産量 | 245,441トン |
主な精算処理 | ウォッシュト |
コーヒー栽培が盛んな地域
太平洋側の南部や標高の高い中部地帯でコーヒー栽培に適したエリアです。
山の斜面でシェードツリーという日陰を作る背の高い樹の下で栽培されるのが特徴。
国内最大の栽培地はアンティグアで、アンティグア産のコーヒーはブランド価値が高いだけでなく、品質も高く日本でも人気です。
アンティグアやその他の生産地域についてもっと詳しく知りたい場合はグアテマラの生産地域をご覧ください。
グァテマラ産コーヒーの特徴
グアテマラのコーヒーはフレーバーの種類がものすごく豊富で多くの珈琲豆が栽培されています。
- 甘味が強いもの
- 豊かな酸味があるもの
- 複雑な味わいの珈琲
- 口当たりが軽いもの
- 重厚でリッチなもの
- チョコレートのようなコクのあるもの
グアテマラ産はブレンドによく利用される
グアテマラ産の珈琲はブレンドに使われる事が非常に多いのが特徴。
グアテマラのコーヒーは香りが豊かで味がしっかりしているため、他の豆とブレンドすることでしっかりとした味になるため、ベースとして利用しやすいんです。
グアテマラコーヒーのトレーサビリティ
グアテマラはトレーサビリティの歴史が長く、品質の高いコーヒーとしての歴史も長い国です。
グアテマラのトレーサビリティの歴史
1963年に発足したグアテマラ全国コーヒー協会が数多くの生産農家を管理している。
また、研究も盛んで下記のような生産に関わる分野の分析・研究を行い、農家に情報提供しています。
- 土壌分析
- 降雪パターン分析
- 霜災害分析
グアテマラ産コーヒーは農園、または農協や生産者団体まで生産履歴をたどることが可能で現在いくつかの地域が原産地呼称の保護対象となっています。
トレーサビリティの歴史も長く、ウェットミルを完備して自分たちで精製を行っている生産者が多いため、農園が長きに渡って品質の高いコーヒーを生産が続いているんですよ。
標高による等級・格付け
他の中米の国々と同様にグアテマラも標高による格付けを採用している。
- プライム・ウォッシュト(PW):標高750〜900m
- エクストラ・プライム・ウォッシュト(EPW):標高900〜1050m
- セミ・ハード・ビーン(SH):標高1050〜1220m
- ハード・ビーン(HB):標高1220〜1300m
- ストリクトリー・ハード・ビーン(SHB):標高1300m以上
『ハード』とつくものは標高1000メートル以上で栽培されているものになります。
標高が高いものほど高品質とされ、標高1300メートル以上で栽培されるSHBが最上級豆。
なぜ標高が高いほうが高品質かというと、昼間は暖かくなり、夜間は寒くなるために寒暖差が生まれます。
この寒暖差が果実の引き締まった高品質な豆になるというわけですね。
格付けについてはコーヒーの脱穀から輸出までの流れにて詳しく記載しています。
グアテマラの珈琲の歴史
グアテマラ珈琲の歴史は1740年頃からはじまります。
1740年〜1750年頃:グアテマラにはじめてコーヒーが持ち込まれる
イエズス会修道士によって苗木が持ち込まれたのがグアテマラのコーヒーのルーツとされています。
イエズス会はグアテマラだけでなく多くの国にコーヒーの苗木を持ち込んだとされており、多くの国へコーヒー生産文化を根付かせたとされている。
1856年以降:コーヒーが主要作物へ
化学染料の発明により天然インディゴの需要が下がり、エルサルバドル同様にコーヒーがグァテマラの主要作物に変わっていった。
政府は早くからインディゴからの脱却と生産の多角化を試みていたこともあり、コーヒーへの移行はスムーズに進んでいきます。
1845〜1900年:政府主導によるコーヒー栽培促進
1845年政府はコーヒー栽培促進委員会を設置し、コーヒー生産者向けの教材作成や価格や品質の設定を進めた。1869年政府はコーヒー産業の更新のため100万個ものコーヒーの種を配布。
フスト・ルフィノ・バリオスは1871年に政権を握ると、コーヒーを経済の中心に据えた。
彼の改革により、公有地とされていた40万ヘクタールもの土地が売買の対象とされ、先住民は土地を更に奪われ、その土地には大規模なコーヒー農園が授けられた。
コーヒー生産を促進するための取り組みは効果を上げ、1880年にはコーヒーがグアテマラの輸出の約90%を占めた。
1930年:世界恐慌の煽りを受けるコーヒー産業
1930年頃の世界恐慌を受け、コーヒーは再び政治に巻き込まれる。
大統領になったホルヘ・ウビコは輸出を伸ばすため、コーヒー価格を下げることに尽力した。
彼は大掛かりなインフラ整備を行うとともに後に巨大企業へと成長する米国のユナイテッド・フルーツカンパニーUFCに多くの権力と土地を与えたが、その後ゼネストや抗議運動が起き、ウビコ氏は退陣。
その後は、言論の自由を認める民主化の時代が続き、農地改革法を成立させたアルベンス大統領は1953年、農業用に土地を再分布することを目的として、土地(大半はUFCが占有)の没収に着手した。
大規模農園の農園主や米国務省の支援を受けていたUFCはこの改革に反発。
1954年〜1996年 農地改革実現せず
1954年に米国中央情報局CIAがアルベンス政権を転覆させたため、農地改革が実現することはなかった。
この出来事によって国は内戦に突き進み1960年から1996年まで争いが続いた。
内戦を引き起こした要因の多く、貧困、土地分配、飢餓、そして先住民に対する自主差別は、現在も残る問題である…
2022年 現在のグアテマラコーヒー
グアテマラのコーヒー生産のピークは21世紀に入る頃で2001年のコーヒー機器以降は、多くの生産者がコーヒーから離れ、マカダミアナッツやアボカドの栽培に転じた。
また、グアテマラではコーヒーサビ病というよる深刻なコーヒーの病にも悩まされています。
正式名称『Hemileia vastatrix』と呼ばれる赤いサビのような斑点の出来る病気で、コーヒーの木をからしてしまいます。
このサビ病も農薬で抑えられるようにはなってきたものの、依然グアテマラの生産者を悩ませる原因となっています。
グアテマラコーヒーまとめ
グアテマラは沢山の魅力的なコーヒー産地があり、種類も豊富でいまや世界で愛されるコーヒー生産国となっています。
また、最近はコーヒーだけでなく観光地としても魅力的な国になってきていますので観光に行くのも良いと思いますよ。
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