コーヒーの起源とも言われるコーヒーの歴史を語るには欠かせないエチオピア
エチオピアのコーヒー史の始まりは9世紀頃まで遡ります。
9世紀:はじめてコーヒーが食される
エチオピアがコーヒーの起源とされる説では「ヤギ飼いのカルディ」が有名です。
ヤギ飼いのカルディ
カルディといえばコーヒーチェーンが思い浮かぶ人も多いと思いますが、コーヒー史には必ず登場するヤギ飼いのカルディが最初にコーヒーを見つけたとされています。
ヤギが興奮する事があり、カルディがその理由を調べた結果、コーヒーの果実が原因だと判明。
世界で初めて眠気覚ましの効能があるフルーツとして使用するようになったと言われています。
ドリンクではなくフード
この時点では飲み物のコーヒーではなく、コーヒーの果実を食すという方法でした。
はじめてコーヒーを農作物として栽培した国はイエメンと言われていますが、それよりずっと前からエチオピアでは自生したコーヒーを収穫して食用として利用されていたんですね。
その後、徐々に薬用や飲用としても使われていくことになります。
エチオピアではコーヒー豆を煮て食べる習慣が
エチオピア南西部の奥地に住むオロモ族の間ではコーヒーと大麦をバターで炒める「コーヒーつぶし」という儀式が残っており、コーヒーの葉が利用された飲み物が愛飲されているとの事。
- 乾燥コーヒーの葉で淹れた「アメルタッサ」
- 炒ったコーヒーの葉で淹れた「カティ」
17世紀頃:エチオピアで輸出がはじまるが…
はじめてエチオピアからコーヒーが輸出されたのは17世紀頃。
当時はイエメンなどの中東諸国でカフェが登場し、コーヒーブームが起こっていました。
珈琲文化にはヨーロッパの貿易業者も興味を示していましたが、エチオピアの輸出量は多くはなく、輸出を断ることも多かったそうです。
エチオピアの輸出が少なかったこともあり他国でもプランテーション栽培が始まりました。
- イエメン
- ジャワ島
- 南北アメリカ
上記の国でコーヒー栽培が始まったのはこの頃。
当時のエチオピアではコーヒーの名前由来ともなったカファ地区をメインとした、自生するコーヒーの木からの収穫に頼っていたため収穫量はあまり多くありませんでした。
アラビカコーヒーはエチオピア原産?
アラビカコーヒーの木がはじめて見つかったのは、現在の南スーダンでそれがエチオピアに広がったとされています。
エチオピア起源と言われることもありますが南スーダンからエチオピアに広がったという説が有力です。
19世紀初頭 エチオピアコーヒーに再び注目が集まる
それから2世紀後にはエチオピアのコーヒーが再び注目されはじめました。
現在のエチオピアに当たる当時エナリアからのコーヒーの輸出量が約5トンであったという記録がのこっており19世紀初頭の輸出量はかなり大きくなっていたことがわかっている。
ハラールとアビシニア 2つの等級コーヒー
19世紀にはエチオピアでは2種類のコーヒーが普及していました。
- ハラール地区周辺で栽培されたハラール
- それ以外の地域で自生していたアビシニア
ハラールは長年に渡って好まれ上質であるとの評価を得ています。
1950年代:コーヒー産業体制強化がはじまる
1950年代からエチオピアでのコーヒー産業が本格的に強化されていくことになります。
新たなコーヒーを格付けするシステムが導入され、1957年にはエチオピア国営コーヒー協会が設立されました。
この頃は国によるコーヒー産業への政策が強くなっていました。
1970年代:帝政打倒、社会主義による混乱
1950年代以降、国を上げての事業としてコーヒー産業を推進してきたためエチオピアのコーヒー産業は大きくなってきましたが、1970年代に皇帝ハイレ・セラシエ帝政が打倒されたことで大きな混乱が生まれました。
農民の反乱ではなくエリート層のクーデター
この反乱は農民によるものではなく、深刻な食糧難や紛争に嫌気が差したエリート層によるクーデター。
社会主義思想の強い軍部によって政権奪取されることになりました。
エチオピアでは様々な面で封建制に近い統治がおこなわれていたが、帝政打倒後には土地の国有化が始まった。
土地私有や雇用労働の禁止でコーヒー産業に大打撃
社会主義により農民などの貧困層は相対的に裕福になり、多くの国民が恩恵を受けられたいっぽうで、厳格なマルクス主義者による土地の私有や雇用労働を禁止の影響を受け、コーヒー産業は多大な影響を受けることに…
大規模な農業経営が衰退していくことに。
1980年代:食糧難で800万人が飢餓
食糧難に襲われ800万人が飢餓に苦しみ、100万人が餓死。
エチオピアは厳しい国難に襲われることに。
1991年:民主化
1991年にエチオピア人民革命民主戦線(Ethiopian People’s Revolutionary Democratic Front)が軍事政権を打倒
軍事政権打倒後、エチオピアは社会主義から民主主義へと移行していきます。
エチオピアが国際市場に参入
民主化を機に、コーヒーの国際市場に参入しましたが、世界市場の相場変動の影響を受ける事になります。
エチオピアのコーヒー業者はコーヒー価格の変動に対処できず、共同組合が設立されコーヒー産業の組合員へ支援が行われることとなった。
- 資金調達
- 市場情報提供
- 輸送支援など
2008年:エチオピア農産物取引所設立
エチオピアのコーヒー取引に置ける近年最大の変化が農産物取引所の設立です。
ECEとは
ECEとは正式名称Ethiopian Commodity Exchangeを略したもので食糧危機対策や農民の生活向上を主とした組織の事。
- 食糧危機対策
- 農民の生活向上
ECXは上記を主目的とし、国内コーヒー生産量の96%以上を占める輸出用珈琲豆を下記の主要生産地ごとに10等級に分類
- Yirgachefe
- Sidama
- Jimma
- Harar
- Limmu
- Kaffa
- Tepi
- Bebeka
- Lekempti
ECXは売り手も買い手がWin-Winな効率の良い取引を目的としたシステムでしたが、残り4%程度の比率であるスペシャルティコーヒーのバイヤーにとってはトレーサビリティが不十分になるためありがたいものではありませんでした。
エチオピアコーヒーの主要産地ごとの特徴についてはエチオピアコーヒー産地の特徴をご覧ください。
スペシャルティコーヒーはトーレーサビリティが重要
しかし、ECXシステムではCX倉庫にて産地ごとに分類されるため農家の特定が不可能となってしまいました。
生産履歴がしっかりと記録された品質の良いコーヒーを求める世界のコーヒーバイヤーにとってはECXのシステムは品質が担保されないということもあり受け入れがたいものがありました。
ECXシステムの流れ
ECXシステムでは下記のような流れで仕分けが行われます。
- CX倉庫に移送
- ウォッシュトの場合産地ごとに1〜10の番号が付けられる
- ナチュラルはすべて11番とされる
- 品質で格付けした1〜9の番号が割り当てられる
- 格付けできないものはUGに分類
ECXシステムのデメリット
ECXではオークションに掛けられる前に生産履歴が不明になってしまうため、トレーサビリティが得られないというデメリットがあります。
もちろんメリットも有り、生産者は早くお金を受け取れるようになり、流通もスムーズになりましたが高級な珈琲豆としてのブランド価値を落としてしまう結果となってしまいました。
2020年現在のエチオピアは…
最近のエチオピアではECXの制約に縛られない農家が少しずつ増加しています。
これにより高品質でトレーサビリティのついたコーヒーが、日本でも消費者に届くようになってきました。
品種、産地、収穫時期など詳しいトレーサビリティのついた豆が買える店は限られますが、エチオピアの農場まで記載している珈琲店は間違いなく高品質な豆を取り扱っていることでしょう。
エチオピアのコーヒーはとても魅力的!
歴史あるエチオピアはコーヒーの種類も非常に豊富で魅力的。
エチオピアコーヒーの特徴もあわせてごらんください。
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